一般社団法人ほらじゅう とは
一般社団法人ほらじゅう とは
当団体の設立発起人および理事はそれぞれ、個人的、あるいはお互いが協力し合って、地域の文化や資源を紹介する活動をおこなってきました。ですが人を呼び込む効果はあっても、過疎高齢化が進む状況には歯止めがかかりません。今後の地域を維持していく上で、より積極的な地域資源の発掘や地域の魅力の創造、そして情報発信をおこなっていくために、法人格を有するまちつくり団体を設立しようと考えました。団体名称の「ほらじゅう」とは、拠点とする地元・奈良田の方言で「村中(むらじゅう)」を意味するもので、地域住民に馴染みの深い民話「二羽烏」にも登場する言葉です。
一般社団法人ほらじゅうでは、いわゆる「関係人口」と呼ばれるような主体を巻き込んで、地域と、その協力者一人ひとりが、ある価値観を共有していく、そのプロセスや、つながっていくプロセスに、地域課題の解決を組み込んでいこう、という発想を持っています。<住民>か<非住民>といった居住圏域による一般的な括りではなく、地域の文化や環境資源への関わり方による4段階の『フェーズ』で捉え、参画者がそれぞれの『フェーズ』を深めていけるように、段階に合わせて、フレキシブルに対応しています。
代表者より
早川町のような山あいの暮らしを通じて、当団体はどんな役割を果たせるでしょうか。まずは、自分たちの暮らす地域を振り返ってみたいと思います。
時代の分かれ目はいわゆる「戦後」、特に、早川町では昭和30年頃の変化が大きいようです。
早川流域では、最後まで続けられていた奈良田集落の焼畑も、昭和30年に終わりを告げました。そしてその前後から、米食が一般的になっていきます。つまり、主食たる穀物を、自ら生産して自給することから、購入して賄うようになりました。早川流域でも、地区によって年代の違いはありますが、「作る」から「買う」へと変わっていきます。
それを強烈に推し進めたのが、大正時代からの電源開発、そして昭和20年代後半、いわゆる「富める山梨」というスローガンの下でおこなわれた野呂川総合開発。昭和29年から道路整備も進められ、路面バスも昭和30年に奈良田まで開通しました。
それが良いことだったのか、悪いことだったのか、その解釈は別として、ですが山の暮らしというものは、本来は、資源利用の「循環」性にカギがあったのではないか。それは決して山村に限られたものではなく、特に前近代、つまり昔の時代には、水田耕作地域の里山や、さらなる平地の都市部もそういった「循環」の中に位置づけがあったはず。
だけど近代以降は、新しいモノを生み出すことに価値が置かれた時代。そんな中、資源利用の時間的・空間的スケールの大きな「循環」性をベースにしていた山村は、地理的制約から、どんどん新しいモノを生み出す新たな産業構造に転換できなかった。しかし転換できないままだったからこそ、逆にかえって、資源利用の「循環」性を支えていた、大事なものが、まだ残っているんじゃないかと思うのです。
それは、「循環」性の背後にある、時間観念や社会観念。つまり、「循環する時間」を取り戻すことが大事なのではないか。
哲学者・内山節(うちやま・たかし)さんは、「現代の人間にとって時間とは、時計の秒針のごとく一定のリズムで動き、しかも一度過ぎ去った時間は二度とかえってこない、直線運動のようなものとして捉えられている」と、こうおっしゃる。これには僕にも実感があって、子どもの頃に描いた夢は、今さら追うことはないし、うちの子が小学校に上がる前のかわいらしい姿は、もう二度と戻らない。直線運動のような時間とは、そういう捉え方かと思います。
でも内山節さんは、続けて言う。「時間は直線的に過ぎ去っていくのではなく、円を描くように回転して、また元のところに戻ってくる。それは一年を経てまた春が帰ってきたというような時間の世界である。時間は永遠の回転運動をしている。だから春がかえり、夏も、秋も、冬もかえってくる。この時間感覚は、農民や自然とともに暮らした人々のものであった。なぜなら自然とともに暮らした人々にとっては、今年も一年が過ぎてしまったという感覚より、今年も昨年と同じ春がかえってきたという感覚のほうが、自然だからである。昨年と同じ春がかえってきたから、村人は昨年と同じように畑を耕す。そのとき森も、川も、すべての自然も、昨年と同じ春を迎えている。自然の世界も、村人の世界も、基本的には、昨年と何も変わらない春を迎えているのである。」、と。
確かに、早川のような山あいの人々から、身の回りの環境に流れている、円を描くような、循環する時間の中に自分の身を置く、というような時間世界の在りようが感じられるように思います。それは、先ほどの僕のように、「過去」「現在」「未来」といった直線運動のような時間を、〝自分の中〟に作る感覚とは全く異なる〝時間〟の在りよう。そう考えてみると、でもうちの子らの幼少の頃の姿は、もしかしたらまた返ってくるのかもしれないし、僕自身も形を変えて、子どもの頃と同じ夢を追っている、とも言えるのかもしれません。
こうした時間観念や社会観念って、私たちの地域の、〝潜在的資源〟と呼べるのではないか。実際、早川で暮らしていると、「材料があると、つい作っちゃう」「美味しいものがあると、ついつい出してしまう」「春が来ると、山菜を採らずにいられない」といった話を耳にします。これって〝愛着〟だと思うのです。そして、そういった〝愛着〟の根底に流れているのが、また春が来る、また猟期が始まる、ラフティングができる、今年も祭りがやってきた、冬になれば味噌を仕込む、今日も陽が上る、16年の周期でもとのアラクに戻ってくる、そういった「循環する時間」であり、観念的だ、と批判されてしまうかもしれませんが、そういった〝潜在的資源〟に、一般社団法人ほらじゅうでは地域づくりの糸口を見出していきたいのです。
(2022年12月、『まちつくり載せてどこまでも』講演録より抜粋)
一般社団法人ほらじゅう代表理事
上原佑貴(うえはらゆうき)